追っては消える「感覚」
ちょっと前の記事で「畏怖と克己心」という過去ブログを参照リンクとして貼り付けました。
その前に載せてあった内容が、それまで私が取り上げることのなかった「感覚」について、3ページに分けて言及するものでした。
書いた当時はリンクを貼らなかったようで、書いた私自身が読み返すきっかけがなく、すっかり忘れていました。
このままではまた忘れてしまうので、もう一度まとめてみようと思います。
「上手くなるのは大変、下手になるのは簡単」
http://blog.livedoor.jp/mambohompo/archives/42814011.html
「技術と感覚」
http://blog.livedoor.jp/mambohompo/archives/42814893.html
「行き詰まり感、倦怠感をなくすには」
http://blog.livedoor.jp/mambohompo/archives/42832767.html
感覚というのは、教えてすぐに授けられるものではありません。
頭で理解するものではなく、最終的には本人が自分の身体で感じ取る以外ない。
本人が、これだ!と思っているものが、正しくそれであるかどうかは先生でも確かめようがありません。
そんな実体のない、あやふやな存在が感覚。
思いも掛けない時、場所で、フッと現れることもあるし、
つかんだっ!と思ったら、次の瞬間には泡のように消えてしまうことも多い。
ペアダンスでは、二人が足型や振り付け通りに動いたからといって、必ず正しいペアワークが成されるとは限りません。
二人の感覚が個別的にも相関的にも的確なものでないと、システムとして働かないからです。
ペアダンス習得というのは突き詰めると、
感覚を得るために、技術を磨いて肉体という器を作る作業といえるかもしれません。
上手くなりたいと真剣に願う人は、せめて技術的な要点はメモに残してください。
器作りという準備をしておかないと、いざ「感覚」が現れた時に受け止めておくことができません。