ブログへの回帰
「『日赤病院のドクターから送られてきた』はデマ SNSで拡散、問い合わせで病院業務に支障も」
ー 静岡新聞ネットニュース 4月10日配信
このデマ、私も目にしました。
静岡日赤の医師が、当病院が満床状態で命の選択をせざるを得ない状況になりつつあることを拡散して欲しい、というお願いがあったというシェア。
そんな状況下にある医師が公的な発表に関係なく、私的なSNSでシェアさせたがるだろうか…と、不審に思って最後まで読まなかった記憶があります。
もちろん、シェアはしませんでした。
というより、
これに限らず、元々私は人が書いた主観文は評価の為の「いいね!」は付けても、拡散目的のシェアはしません。
私的な文章に限らず、マスメディア発信のネット記事もライターの主観で書いたものはただの読み物として読むようにしているので、せいぜい引用するくらい。
私の場合、自ら発信するという責任を考えると、自分の言葉にこだわりたいという気持ちが起こります。
ネットに潜む危険性。
文章内容の信憑性はまだいいんです。
私が怖いのは、ネットのセキュリティをかいくぐってアカウント乗っ取りやフィッシング詐欺が横行していること。
先月のことなんですが、
Facebookにつなごうとすると、不正なアクセスがあったということで、連日パスワードを変更するよう催促してくるようになったんです。変えても変えても…
FacebookはGoogleアカウントと密接に関係し合っているので、Facebookにつなぐこと自体が不安に思えてしまいました。
SNSの世界には善だけでなく、悪も満ちています。
もちろん、その間には悪意はないけれど我々人間が持つ俗的な嫌らしさの表われも見られます。
例えば、長い物には巻かれろ的な計算高さ、
反対に、気に入らないものを見つけると寄ってたかって叩きのめす、というトゲトゲしさ。
そういうのは自分にもあるから、嫌になる…
ウイルス禍と同様、姿は見えないけれど、訳の解らないモヤモヤした圧迫感、閉塞感を持ちながらでないとネット生活を送れないもどかしさを感じてしまいます。
といって、今さらインターネットは止められない。
そこで、せめて
いろんなアプリを相互リンクさせ、双方向通信できる、今のSNSの便利さより、
一昔前、パソコン通信やホームページ、ブログ全盛時代の、垣根を感じる程度のやり取りに抑えた方が、精神衛生の点では安心できるような気がしているのです。